張遼の一日

 許昌の宮城の廊下を、一人の無骨な男が歩いていた。いや、確かにその体躯は大柄だが、髯は細く整っていて、鎧は青を基調としたひらひらとした布で装飾されていて、兜にも似た大き目の帽子は豪奢で、同じ曹操軍に所属する中では、寧ろ洒落ている方だろう。
 この男、名を張遼、字を文遠と言う。数ヶ月前にその生を終えた、呂布の陣営に所属していた名将である。彼は今、神妙な表情で廊下を歩いていた。彼は先ほど、徐晃に調練の相手を断られたのだ。
 徐晃とは、字を公明と言う、まるで修験者のような風体をした男である。この曹操軍に降ったばかりの張遼とも比較的親切に接してくれる、無口だが人当たりの良い男だ。部下にも優しく、仕事も堅実と言う事で、彼に関する悪い噂を、張遼は聞いた事が無い。
 張遼がそんな徐晃に声を掛けたのは、もうすぐ太陽も真上に来ようかと言う時、宮城の外での事だった。

「徐晃殿!」
「お、おお、張遼殿でござるか! 拙者に何か?」
「今日は非番なのでしょう? 宜しければ少々お手合わせ願えませんかな?」
「あいや済まぬ…拙者今日は非常に大事な用がござって…」
「そうでしたか…それは残念です。では、共に昼餉を如何です? まだお召し上がりではないでしょう?」
「いや…これから猫の手も借りたいほど忙しくなる故に、そのような暇も無いのでござる。まこと、折角の誘いを申し訳ない」
「昼食の時間も取れないほどなのですか!? では、微力ながら、私もお手伝いいたします。この張文遠にお任せあれ!」
「いやいやいや、とんでもござらん! 張遼殿に手伝って頂いては、殿にお叱りを受けてしまうでござる」
「……え?」
「あ…まあ、お気に召さるな。では、拙者は急いでおる故…御免!」
「あ…徐晃殿!」

 誘いを断られた事などは、全く気にしていない。だが、気になるのは徐晃の忙しさの理由である。《殿》という単語が出て来たと言う事は、おそらくは曹操から頼まれている仕事なのだろう。しかし、今日徐晃は非番の筈だったのだ。それにもかかわらず、頼まれた(と思われる)用事とは、一体何なのであろうか。そして、それほど忙しいのに、自分に手伝いさえもさせてくれないのはどう言う事なのか、張遼は不思議に思っていた。
(まさか…私はまだそう言った事を任せられるほど信頼されていないのであろうか…)
 一瞬、頭に嫌な考えが浮かぶ。しかし、張遼はすぐにそれを打ち消した。
(徐晃殿に限って、そのような露骨な事をなさる筈が無い、か)
 張遼は気を取り直して、午後の調練に付き合ってくれる相手を探す事にした。

 張遼は厨房付近で許チョを発見した。
「ん〜、張遼かぁ? こんな所で何やってるんだぁ?」
「いや、その…許チョ殿、宜しければこれからお手合わせ願えませんか?」
「…悪いなぁ…おいらは、これから曹操様に頼まれた御用事があるだよ」
「そ、そうですか。では…失礼した」

 次に発見したのは、武器庫付近にいる夏侯惇と夏侯淵だった。
「あの…夏侯惇殿、夏侯淵殿…こんにちは…」
「…張遼か。どうした? 俺達に何か用か?」
「いえ…今お暇ですか…?」
「悪ィなあ、今俺等ちっと手ぇ離せねえんだ。またの機会に、な」
「…はは…そうですよね…済みません…」

 張遼は最終的に、練兵場付近で曹仁を発見した。
「…曹仁殿、ご機嫌は如何ですか?」
「む、張遼殿。…自分に何か?」
「いや…その…もしかしたら御時間が余っていらしたりしないかと…思いまして…」
「済まぬ、折角のお誘いだが、自分には今手の離せぬ用事が…」
「…いや、お手間を取らせて申し訳無い…それでは、失礼します…」

 結局張遼は、練兵場で兵士達の訓練を惚けて見つめながら少々落ち込んでいた。
「…私は、やはり信用されていないのだろうか…」
 全員が断ったという事は、やはり皆が曹操から何か仕事を頼まれているのだろう。
それなのに、自分は曹操から何も言われた覚えが無い、と言う事は。
「そろそろ、皆と親しくなれたと思ったのだが…甘かったと言う事か…。早く、信頼されるような男になりたいものだ…殿にも、皆にも」
 最早自分は呂布軍の武将ではなく、曹操軍の武将だ。その辺りのけじめを、もっと
しっかりと付けるべきなのかもしれない、と張遼は決意を新たにしていた。
 聊か暴走気味な感は否めないが、この愚直さも張遼の魅力の一つなのである。
「よし! くよくよしていても始まらん! 気合を入れて頑張らねば!」
「あの…張将軍?」
 気合を入れていた所に突然兵卒に声を掛けられて、張遼は僅かに赤面しながら応対する。
「な、何だ? 私に何か?」
「殿よりの伝令です。至急、大広間に来るように、と」
「何ッ!? 殿が!? そ、そうか、伝令ご苦労」
 去っていく兵士の後姿を見送った後、張遼は張り切って大広間へと向かったのであった。

 大広間の立派な椅子に堂々と座る曹操の前に、張遼は拱手して跪いていた。
「殿、私に如何なる御用でございますか?」
「まあ、そう畏まるな。楽にしてそこに掛けると良い」
 曹操は何故かにやにやとしながら張遼を手近な椅子に座らせる。
「さて、張遼よ…わしが何故お主を呼び付けたか分かるか?」
「はい。何か私に仕事をさせるおつもりなのでしょう? どのような仕事でも尽力致します故、お任せ下さい!」
 張遼は、先ほどから皆が携わっているような仕事を自分にも回してくれるのだと思い、喜びで一杯だった。しかし、曹操の答えは予想と異なるものだった。
「いや…そうではない。実は…お主を驚かそうと思うてな」
「へ?」
 張遼が間抜けな声を上げたかと思うと、途端、部屋の四方から幾人かの武将達が姿を現したのである。しかもその中には、徐晃や夏侯惇など、忙しい筈の者達が含まれていたのである。勿論、張遼は驚いて、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がっていた。
「うわッ!! な…な…これは、一体…」
 困惑気味に周囲を見回す張遼に、徐晃がすたすたと近付き、言った。
「張遼殿…お誕生日、おめでとうでござる」
「え…誕生日…? あ」
 張遼は今日が自分の誕生日だと言う事を失念していた。曹操軍に所属してから何だかんだと忙しかったし、既に誕生日をいちいち指折り数えて喜ぶ歳でもなくなっていたからだ。
 気が付けば、武将達は手に贈り物らしき包みや酒樽を持ち、大きな卓には、いつの間にやら大皿料理が山と並んでいる。
「ははは、驚いたか張遼。作戦は大成功じゃな、良くやったぞ、皆の者」
「何が、良くやった、だ、孟徳。一人偉そうにしおって…。お前の思い付きで、俺達がどれだけの苦労をしたと思っておるのだ」
「全くですよ…殿がお祭り騒ぎを好きなのは知ってますが、お陰で俺等は大変だったんですぜ?」
「張遼にばれないようにやれって言うから、おいら頑張っただよ〜」
 張遼はようやく状況が飲み込めて来ていた。
「あの…つまり皆さんがお忙しかったのは…私の誕生日を祝おうと?」
「まあ、そう言う事でござるな。拙者、秘密裏に事を運ぶのは苦手でござるゆえ…張遼殿に却って不自然に思われたのではなかろうかと思っていたのでござる」
 皆の言葉を聞いて、笑顔を見て、張遼は心から幸せな気持ちになっていた。この歳になって、誕生日を、それもこんな素敵なやり方で祝って貰えるとは思っていなかったからである。張遼は、信頼されていないのではないかなどと邪推していた自分を恥じた。ここには、自分の為にこんなに一生懸命になってくれる仲間がいたと言うのに。
「殿…それに徐晃殿達も…本当にありがとうございます。この張文遠、心より感動して」
「張遼、堅苦しい挨拶は無しじゃ。今日は無礼講じゃからな。…よし! 皆杯を持て! 乾杯じゃ!」
 曹操のその音頭で、その場にいる全員が杯を持ち、それが高く掲げられると共に、賑やかで長い宴が開始されたのであった。
 余談だが、その後も曹操のサプライズパーティーは何度か計画されたのだが、流石に袁紹軍からの降将、張コウに対して行った時は、本人のぶっ飛びっぷりにどう対処すべきか頭を悩まされ、稀代の軍師司馬懿が対象だった時は、やる前に全てを見抜かれてしまったりもしていた。
 しかし、それらはまた別の話である。

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後書きと称した言い訳
 ええと…仰りたい事は多々ありましょうが、どうか見逃して下さいませ〜。(オイコラ) 多分、この時代は数え年だと思うので、あまり誕生日を祝ったりする風習はないかもしれません…。でも、どうしても書きたかったんですよ、仲良し魏軍! 呉軍や蜀軍の一部と比べると、余り仲良しイメージが無いじゃないですか…。  心残りは張コウや甄姫を出せなかった事ですかね。張遼降った頃は、張コウ達は袁紹軍ですからね。張コウがいると、もっとギャグテイストに書けたと思うのですが…。後、典韋ってこの頃は死んでますし。(爆)
 こんなんでお誕生日プレゼントになるかどうか分かりませんが、お受け取り下さいませ。


「張遼の一日」 夜麒麟様

夜麒麟様から、私の誕生日プレゼントにと頂きました。

呉の虎ファミリーや蜀のピーチトリオに
負けないくらいの仲良し魏軍です(笑)。

張遼は不器用なところがあって
降ってきてからなかなか馴染めずにいる
不器用なイメージを抱いていたのですが
まさにこの小説の通り!(笑)
きっと、濃ゆい張コウが仲間入りする頃には
すっかり打ち解けていることでしょう。

夜麒麟さん。どうもありがとうございました。



=モドル=