『初雪』 作:銀恋聖母 シグルド達があらぬ疑いをかけらけ、シレジアに逃亡してから数ヶ月・・・ 「もうこのセイレーンに来てから数ヶ月か・・・」 「どうしましたか?キュアン様」 「いや。レンスターの事が気になってな。アルテナの事も心配だしな」 「・・・そうですか・・・」 キュアンは今にも雪が降り出しそうな空を眺めながら、レンスターの事を考えて いた。 シグルドを助けるために、レンスターを離れてから相当経っている。 ・・・ただ、いつもならキュアンの傍で元気に答えるフィンが、何故か今日は沈 んでいる。 その理由をキュアンは分かっていたが、あえて問わなかった。 「・・・フィン」 「は、はい・・・」 「近いうちに、レンスターに戻るぞ」 「え・・・」 「出来れば、ランスリッターも連れ来たい処だが・・・」 キュアンの部屋を出た後のフィンの表情は冴えない。 無論、キュアンがレンスターへ帰る事になればフィンもそれに同行するし、異論 もない。 主君に従うのは騎士の務めだし、フィン自信、キュアンを心から尊敬しているの で不満はなかった。 ただ・・・彼にとって、気がかりな事が一つ・・・それは・・・・・・ 「あら、フィン。こんな処に居たの?」 「あ・・・ラケシス様」 ノディオンの姫君・ラケシスの存在である。 「ねえ、フィン。さっきエーディン様やエスリン様と一緒にクッキーを作ったの。 どうかしら?食べません?」 「あ、はい・・・。わかりました」 「・・・どうなさったの?浮かない顔してますよよ・・・」 「何でも、何でもないでもありません。さあ、行きましょう。ラケシス様」 フィンはラケシスの腕からクッキーの入ったバスケットを受け取り、そのまま二 人でラケシスの部屋へと向う。 ラケシスの部屋へ行く途中、ラケシスの問いにフィンは何かぱっとしない解答を 繰り返していた。 本人は気づいていないかもしれないが、周りから見ればいつものフィンとはまる で違っていた。 その事が気に掛かって仕方ないラケシスだったが、当の本人がこれでは、聞ける わけがない。 部屋に付いて紅茶を入れているフィンの後姿を、ラケシスは見つめていた。 ラケシスには、フィンの考える事がだいたい判っていた。 隠し事の下手フィンであるし、そのフィンがキュアンの部屋から出てきたとあれ ば考えられる事は一つである。 「・・・ねぇ、フィン」 「え、あ。何ですか?ラケシス様」 相手が言ってくれないのであれば、自分から切り出すよりは他ならなかった。 「フィン、レンスターに・・・帰るの?」 「!!」 ラケシスの言葉が出た瞬間、フィンの表情が一瞬強張る。 これだけでも答えは充分だった。 「そっか・・・、やっぱ帰るんだ」 「そ、それは・・・」 「言わないで。言わないで、いいよ・・・分かってるから。 だって、フィンは・・・レンスターの騎士だもんね。 分かってる・・・分かってるから」 懸命にいつも通りに、と振舞おうとするが、ラケシスの声は震えていた。 「ラケシス様・・・」 「言わないで!!」 「・・・!」 フィンの言葉を静止すると、ラケシスはそのまま後ろを向いて俯いてしまった。 その肩は、小刻みに震えている。 「ご、ごめんなさい。少し・・・体調が悪いわ。 クッキーは・・・また今度にしましょう」 「そう・・・ですか、では、失礼します・・・」 フィンはそれだけ言うと、一礼をして部屋を出た。 ただ、彼自身の肩も小刻みに震えていた。 「・・・フィン・・・」 扉の閉まる音を背後に聞きながら、ラケシスは床にペタッと座り込んだ。 ラケシスの膝を、目から溢れ出た雫がポタポタと落下する。 分かっている。 確かに分かっている。 自分はノディオンの姫だし、彼はレンスターの騎士だ。 それが何を意味しているかぐらいは、分かっている。 頭では分かっていても、自分の心がそれに追いついてこない。 目からの雫は、止まる事なく溢れ出てきていた。 コンコン 「・・・!」 ふいに扉がノックされる。 一瞬、フィンかと思ったが叩き方が少し違ったように思える。 正直誰に会いたくないが、それでも会わないわけにはいなかいだろ。 誰だろうか。自分を訪ねてくる人を考える。 アレクだろうか、デューだろうか。それともベオウルフだろうか。 フィンだったら・・・ そんな事を考えながら、ノックをしてきた人物に尋ねる。 「・・・どなたです?」 「私だ」 「・・・え」 扉の向こうから聞こえてきた声は以外な人物の声だった。 フィンはラケシスの部屋から出てゆくと、一目散に駆け出してていた。 自分が騎士だった事を誇りに思った事は今まで何度もあった。 だが・・・今この時ほど、自分が騎士である事が苦痛に思えた事はなかった。 互いに好き合っていても、別れなければならないのか・・・ それを考える度に胸を引き裂かれそうだった。 「はぁ・・・はぁ・・・」 形振り構わず走って、フィンが辿り着いたのは中庭だった。 まだ雪は降っていない。 シレジアの冬は早く、今日か明日にでも初雪が降るだろう。 外は痛くなるくらい冷えていた。 「く・・・」 フィンは近くにあった木に殴りかかった。 手が痛くなるが、それ以上に心が痛かった。 「・・・フィン」 「・・・!?」 自分を呼ぶ声がして振り返ると、そこに立っていたのはエスリンだった。 「え、エスリン様」 「フィン・・・泣いているのね」 「・・・え・・・」 エスリンに指摘されて、フィンは初めて気づいた。 自分が泣いている事を。 そんな自分の涙を、エスリンはそっと拭った。 今まで悲痛な表情をしていたエスリンの顔が、ふっ・・・と微笑んだ。 「フィン・・・。大丈夫よ」 「え・・・?」 フィンには一瞬、何の事か理解出来なかった。 だが、次のエスリンの言葉にフィンは再び駆け出した。 『フィン、安心して。レンスターに帰るのは、まだ暫く先よ。だから、挫けては 駄目よ』 エスリンの言葉が何度も繰り返される。 いつか帰る事に変わりなくとも、まだ時間はある・・・。 それだけでも、フィンにとっては・・・ 同じ頃、ラケシスの部屋では・・・ 「そうか・・・。フィンがそんな事をな。 形振り構わず走る姿を見た時は、何があったかと思ったが」 「はい・・・」 「・・・だがな、すぐには帰らないと思うぞ?」 「え、何故ですか?」 ラケシスの『えっ!?』とした表情を見せる。 それに対して、ラケシスの客人は苦笑しながら答えた。 「いやな、この前偶然聞いたのだ。シグルド公子とキュアン王子の話をな。 確かに、いずれレンスターには帰るそうだ。だが、 今は暫く、このセイレーンに留まるそうだ」 「そ、そうなんですか・・・」 「そうだ。だから、ラケシスもあまり気にするな」 「・・・は、はい・・・」 「そろそろ、フィンも戻ってくる頃だろう。 ここに来る途中、エスリン様とも一緒だったのだ」 「・・・」 「それじゃあな。頑張れよ」 「有難うございます・・・アイラ様」 「アイラ、でいい」 「・・・はい。有難う、アイラ」 アイラがラケシスの部屋を出ると、ちょうどフィンが駆け寄ってきた。 「あ、アイラ様・・・」 「フィンか・・・。ふふ、頑張りなよ」 「え・・・?」 事情の飲み込めないフィンを尻目に、アイラはそれだけ言うとさっさと廊下の奥 へと姿を消してしまった。 だが、フィンにとって今はラケシスのほうが先決だった。 一度深呼吸をして、ラケシスの部屋の扉をノックする。 コンコン 「フィン・・・。先ほどはごめんなさい。入って、下さい」 ノックをしてすぐに返事が返ってくる。 フィンは「失礼します」と言いながら、扉を開いた。 「・・・ラケシス様」 「・・・フィン」 ラケシスの目は真っ赤になっていた。 それでも、いつもと変わらない笑顔を見せていた。 「ラケシス様。僕はレンスターの騎士です。 主命とあらば、レンスターへ帰還しなければなりません」 落ち着いた口調でフィンは言う。 「ですが、ラケシス様・・・。いえ、ラケシス。 僕は一介の騎士である前にラケシスのことを・・・」 「言わないで」 「え・・・」 先ほどと同じように、フィンの言葉をラケシスは遮る。 だが、今回はとても穏やかな口調だった。 「言わないでいいです。分かってますから・・・。 分かっているから、今は・・・言わないで」 そう言いながらラケシスはフィンに駆け寄り、その胸に飛び込んだ。 「ラケシス・・・!」 咄嗟のことで驚きはしたが、フィンはラケシスを抱きとめ、そのまま力強く抱き しめた。 「フィン・・・フィン・・・!」 「ラケシス・・・!」 フィンはラケシスの身体を包み込むように抱きこみ、ラケシスもまた、フィンの 胸に顔をうずめる。 「ラケシス・・・」 「フィン・・・」 フィンは一旦力を抜くと、ラケシスの顎をそっと持ち上げた。 ラケシスもフィンの意図を察して、そっと目を閉じる。 一瞬の間を置いた後、フィンはラケシスの唇に自分の唇を重ねた・・・。 それと同じ頃、セイレーン城のバルコニーでは・・・ 「見て、キュアン。雪よ・・・」 「そうだな・・・。初雪か。これからシレジアは雪に覆われるのか」 「そうね・・・。ところでキュアン」 「ん・・・なんだ、エスリン」 「フィンのこと。わざと、これからレンスターに帰る風に言ったでしょ?」 「ん・・・ああ、ああでもしないと発展しないだろ」 「それもそうね」 「・・・なるほどな。可笑しいと思ったんだ。シグルド公子との話と食い違って いるから」 「まあな。だが、あそこでアイラに盗み聞きされているとは、知らなかった」 「違う・・・。あれは偶然だ」 「でも、これで上手くいくでしょ。アイラも有難う」 「いや・・・私は、ただその場に居合わせただけだ」 キュアン、エスリン、アイラの3人は降り始めた初雪を眺めながら語り合っていた。 これから、シレジアは冬に入り一面の雪化粧に覆われることとなるだろう・・・ それでも二人の熱い想いはシレジアの冬にも耐えてゆくだろう。 いつか来る・・・別れの時でも、消えない炎を・・・ |